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ここに記される文章は私の中で完全に理解されている具体的なことを抽象的に表現したものである。私が常に音で表現しようとしている部分を違った表面から気付かせるための文章である。また1つの表現方法であり具体的な解説ではないため、あることに気付くきっかけとして受け止めてもらいたい。またここで使用される単語はあくまでもそのことを表す手段であり私の知識の中にある数少ない単語で構成されるため表現に偏りがあることを認識しておいてもらいたい。当然のごとく単語の使用意味は独断の偏見で使用されている。まず基本概念から知の部分以外を表す手段として考えるときには代わりの表現を使用しなければならない。ある言語の単語の意味を調べるときを例にあげると使用言語を理解していなければそこから先へは進まない。この中ではある単語を説明するために理解できない単語で説明されておりまた表現されている。これは言語自体がある状態を表すために存在しており一番上部を表しているためその状態と繋げなければ理解出来ずに同じ所を巡回する恐れがあるということを表している。実際には意志を伝えるために作られておりまったくの孤独状態であればこのようなものは必要無くなる。現在物事を考えるときにこの言語を使用してまとめあげている。その事実はは主に共通したくり返しが多いことを表している。しかし逆に言語で表せること以外、また経験以外のことは表せないのである。言語は言語のためのみのものではなくはじめからその一つ下のレベルのために作られたため無限の繰り返し状況に陥ることはないが、その一つ下のレベルへ降りると今度は考え自体が存在しなくなる。特に具体的な命令を与えられていない私たちにとってこの事実は充分戸惑いを発生させる要素になる。この部分を説明することは不可能である。しかし実際には気付くことはできる。実際の初期設定状態部分を取り除き感じるだけのことが可能であればその全体を認識したことになる。しかし認識したことを確認することは出来ない。認識を確認する方法がなければそのことを認識したということを言えないのである。このことに関してはすべてのどの部分にも言えることであり知の中でしか無知を見つけることが出来ない。このことは実際に無知のみを取り上げた時知の部分は消え無のみが残るということである。またこの無は有が存在するときにしか存在せず実際にはその部分を言語により説明・認識の確認を行うことは不可能ということになる。実際は気付く出来事のみになる。またそのことを全く違った状態で記憶することを確認することが必要となる。気付くためにはその出来事が経過してきたプロセスが大変重要になる。全体的に急激な変化には弱くできているため徐々に気付かせる状態へ運ぶことが大切になる。そのためには現在認識できている断片を使用して気付くための隙間への道を構築する必要が出てくる。一つのことを成り立たせるためには他の要素も必要になる。実際には核の部分となる地点には気づけない。その部分を表す状態がないことを認識した上ではじめて気付くことができるのである。しかしその瞬間から問題は全く別のものとなる。その上に引かれている初期状態自体にどのような意味が含まれているかは理解できないが、動物的恐怖を感じることだけは間違いない。本能が働き未知の部分への恐怖と好奇心が錯乱する。その先は全く不明であるがその入り口部分へまで導くことは可能である。絶対的な要素として考えられるものに対という考えがあるが、これも私たちが考えることができる部分はごくわずかである。私たちが認知できる範囲のみでしか存在することができない。しかしその部分からもまた隙間を見つけることは可能である。知が絶対的なものであるとすればその対との間にある中心位置が入り口になる。また完全な中心というものはあり得ない。量子化された地点ということになる。全く違う単位で測ろうとすればその単位の対比が必要になってくる。ここでは地点という概念よりもむしろ連続的という概念の方が相応しい。このときある疑問が自然とでてくることに気付く。無限という概念についてである。このことについては一見考えられないと感じる。しかし実際には認知することができている。この出来事はあるきっかけから成るべくして出来上がった最大の核の部分に当たる。すべての状態をこの状態に当てはめることができてしまう。ただし前提としてそのことを認知しているしていることが上げられ有限の中で認識されている。思考内部でこの無限という概念を認識出来ることはどのようにして可能になったのだろうか。その中には原理を見つけることはできない。はっきりとした解答を見つけることは不可能なのである。認知されている内部に認知されていない部分が入り込むということは総合的に分析を行ったときには認知していないに等しい。対比を考えた時表と認識される面の逆と考えられるのは裏であるがその裏側は表になる。この状態は3つの要素が複雑に絡み付いていることを表している。この違いを表すためには時間軸を中心と考えた進行状況の拠点化という部分でのみ成り立つ。またどれほどの進行を考えたとしても時間軸という無限でかつ連続的に繋がっている上での地点という状態でしか存在しない。時間軸の中で現時点を表すためには記録が必要となる。しかしこの方法による時間軸の定義には実質の事実を記す情報が存在しない。現時点を確認し位置させることは不可能なのであろうか。量子化された状態でしか地点として確認するという作業は出来ないことになる。時間軸を辿ることは実際には存在しない結果のみを参照に想像する幻想ということになる。ここでの出来事は初期に用意されているひな形より上部に位置する場所で存在していることである。ここで感じることができるように入り口の近くまで物事を掘り下げるという行為は現実的に可能である。ただしこのときに一つ注意しておきたい留意点は基本となる地点は初期化されているひな形でありそれを土台として中心部分へと移動させなければいけないという所にある。中心部へ近付くにしたがい土台部分から離れ過ぎすべてを移動させることは危険性を伴う。またいつでもその土台の部分へと戻れる様に逃げ道を作っておくことが必要になる。もし土台を見失うような事体に遭遇した場合は自己に対する強い拒絶反応を自ら体験しなければならなくなる。またこのことにより全体的なバランスが崩れてしまう恐れがある。このバランスを上手く保ちつつ完全な保証がされている環境の中で浮遊するのが望ましい形である。保証された中での動物的反応を嗜む動作はよく行われる。もし保証がない場合にこのようなことを行うとすればそれはただの恐怖としか受け止めることが出来なくなる。五感の内に所属しない感覚が楽にさせてくれる場合がある。内臓としての全体の動きを私たちが操作することの出来ない箇所とするならば実際の作業事体は細胞に任せることしか出来ない。しかしその個々の部分へ影響というものを与えることはできる。この設定の中でどのようにしてよい影響を与えるかということは制限の中での無限の可能性をうまくあらわしている。無限の中には制限という概念も入り込んでいる。このことはある特定箇所のバランスを取るために命令を与えられているように思うよりほかない。実際に認知するのが難しいとしても認識されると意識事体が反応を起こす。その反応を元に間接的に認知することしかできない。もう一つの考えられる方法としては拒絶反応を利用することができる。突発的な出来事や予期しない出来事が起こったときなどの例外時に行われる伝達の干渉漏れの現象を使えばうまく意識下が放つ認知信号を受け取れるときがある。そのことに気付いた次の瞬間に現状維持をするため大きな力がかかる。その力を逆に利用して大きく入り口を広げる。うまく成功すると何かのはじまりのきっかけとなる。この方法もすべての神経を集中させることは大変危険である。このときはある特定の器官に命令を渡しておき一定の間隔ごとに呼び出しを行わせることが必要である。またもう一つの方法としてはじめから備わっている条件による判断からでる強引な認知にかかる遅れを利用することも考えられる。どちらにせよ保証のない状態では受け入れることはできない。できるだけ中央地点に近いバランス状態を保っているときに行わなければならない。また先程の方法と類似しているが習慣を利用することでも同じ結果を得ることができる。初期の設定として蓄積されている情報と経験として蓄積されている情報、これらの参照情報を利用してなかば強引に状態を作り上げる方法がある。この方法は拒絶反応を利用するときと同じくうまく操作が出来なくなる場合も多くはない。常に連続した信号を受けている部分にはかならず限度というものが授けられている。この留め金をはずすことによってより奥の部分へと大きなものを伝達出来るようになる。しかしバランス状態が悪いまま奥へと進むと途中で引っ掛かる恐れがある。このとき閉鎖されることを意識した時点でそのきっかけとなり防衛反応により置き換えが行われる。常にその上のレベルを意識しすべてを受け入れまた飲み込まなければならない。すでにこの状態ではそれぞれの振動による比較検証がはじまりその中で結合されてしまう。記憶として書き込む機能が働いていないときは深い安心感が得られる。その状態では比較の対象となるものは存在せずすべてが同じ位置に並んでいるように感じる。どちらも真偽を判断できない状態を前提として存在している。参照ができる範囲を大幅に越えた地点で拒否反応がおこり自己説得がはじまる。そして存在の否定からはじまり認知しようとする働きを抑圧しようと不安定な状態が続く。そしてそれに対した解決策を探しはじめる。大幅にバランスが崩れたときに有効的なのはすでに認識している設定に従った忠実な生活を営むことである。少し片寄った部分を見せることにより他人の同情、同期の錯覚による反動を利用し逆の方向へと裏返すことができる。はじめから直接行動するのではなく経過を辿ることで何倍もの効果をあげることができる。またちぎれる限界まで引き合わせ同時にやめる。片方の事実の存在がなくなれば対となる事実もなくなる。すべての時間軸にそった出来事は様々なきっかけにより発生されている。きっかけに気付いた後はまだ残っている反応からすべてへの悪意と変わる恐れがあるためできるだけ対となる中心地点へと状態を移動させる必要性が出てくる。一般という統計を参照にすることで逆の部分への対比を図ることができる。バランス的に表面の部分を大きく揺らすことにより現実性をより引き出すことが可能となる。ここから引っ張られる力を期待し現時点という地点の確保へと行動を移す。矛盾が生じるときの問題に対する安心感との差別化を行い、その条件分岐点に印をつけることで作業は非常に容易になる。その印を参照に線を引き限界まで引き付けた後ゆっくりはなす。その先はすでに経験により蓄積されている参照事項を元に自由に築きあげることができる。意識として認識される表面の部分は一度深く下のレベルに潜り込むとそこからは参照出来ない。その状態では処理を行う能力に欠けているため実際の認識できる場所では適応できない。適合性が認められない時点でこの開いた部分はすでに素材としての物質としてではなく影となり記憶に書き込まれる。現在の位置を移動させるためのきっかけを数多く作成することにより自由度を増すことが可能になる。記憶を参照する動作と認識の動作は深く繋がり共有化された部分への多くの同時書き換えがある。それまでと考えられる部分については全く無視をすることができる。機能としてはうまく動作していないことになるがはじめから用意されている初期情報を変更するためには現在の蓄積されている情報を移動させる方法を見つけなければならない。また全体を把握出来る機能を残して行わなければならなくなるため完全な初期化は行われない。実際に組み込まれている機能に情報を渡すことにより処理を行っている以上あり得ないという出来事もすべてその逆の認識機能の中に入っていることになる。その上部と下部に違いを見つけることは出来ない。すべて横並びに配置されている。それぞれにはまた必ず繰り返すことができる参照点が残されている。ここを刺激することが必要となってくる。空間の総合的な設計を行うとき自己の状態を保つための準備も大切な要素となる。この準備された設定を一番上部の部分にかぶせることにより全体として不足していることを補うことができる。またそのバランスのために不都合と感じる部分も修復することが可能になる。平均化を図るときや完全に閉ざされている状態のものを動かそうとするときなどにも効果的である。設定を行う箇所は主に後に使用される共通部分に関することが多い。中央に位置する地点という概念では角度を変更することは出来ない。認識する側の方ですべての設定を変えることにより絶対的な部分を変更したことと同じ効果を得ることができる。このとき基本となる条件は対比ができるか否かということで、すべての初期化にうまく成功することができればこちらの認識の方法を変えるのみで絶対的なすべてのことにおける認識を変更することができる。しかしこの時点でもまだひとつレベルの上で考えたときには全てにおいて解決されると考えることはできていない。そのため非常に遠くからこの小さなポイントを見なければならなくなりこのポイントを決めるために使用される対象ポイントもまた記憶に頼ることになる。この不確かな部分にすべてを依託した状態で参照にすることしか出来ないため完全にすべてを把握した状態にはなりえない。すべてにおける共通化を全体把握した状態で行われていないということは強制的に分別を施すこと事体に全く意味を見い出すことが出来なくなってしまう。この事体に陥らなくするためには現時点の視点を大幅に広げ詳細な部分を想像で埋めなければならない。突然の変化が起こる際には無意識にある特定の部分へとある刺激が走る。このきっかけをうまく処理し、まとめあげる反応が起こる前に隙間がある。この隙間にうまく入り込むことができればその後はすべてを現在と対比した状態から見ることができるようになり両方を持ち合わせたという認識ができる。また以前には考えることが出来なかった場所も普段の見なれた感覚へと変化する。この出来事は特に重要なポイントではないように思うが逆からの情景を見ることにより全く想像を超える出来事に遭遇する。これを認識をしたのみの段階では認識度はまだ浅く全体として考えると実際の範囲の半分も占めていない。両方を比較するというときの自己の存在場所は自然と中心へと近付くことになる。同時に両方を認識しようとすれば無限という参照事項が先立ち抵抗を受けてしまう恐れがある。中心地点を次々と移動させてその線上から徐々にその2点とは別の方向へと向かうことが重要である。またこの他に重要となるのは現在最も重要視していない事柄である。このときに経験からの固定観念を排除しなければならない。このとき常に表と感じる面の裏側を見る様にする。ここで一度しか裏の面へと意識を移さないのはその永遠となりうる繰り返しをさけるためだけではなくもとから持ち合わせている弾力性を持っている部分をすでに記憶しているからである。残されていない部分はすべて横並びに位置されているため以前の状態と言えるものはすべて同じことを表している。そしてそこには元になる箇所という情報のみが存在する。それ以前の情報というのは存在しない知識として貯えられている。このことはすでに存在しない事実と受け止められる。ただ何かのきっかけがあっただけでこの初期化された状態で時間軸というものが走りはじめたと考えられる。きっかけは常に連続的に起きておりすべてにおいて数値として定義しようと考えてもそのこと自体には意味がない。その代わりにうまく進むための最小単位が決められている。これ以上でも以下でも完全に無視ができる様になっている。有限を表すためではなくこの単位を中心に考えることでより広がった思考を持つことができる。その状態を感じた時点ではすでに遅く後悔という感情のみが支配する。この場所というものがそれを確認出来る場所を含んだすべてが消滅する。次の瞬間にはすべてを把握することができる。その後自己の存在を確かめるための確認事項が列挙されそれと共に様々な要素が流れていく。ここで絶望をしてはいけない。現状維持を考えた時点で次の場面へと移ることが出来ずに永遠に流れる刺激を受け続けなければならなくなる。この刺激は連続的ではなくある程度周期がある。また連続的ではないためそれぞれの周期のピークごとに受け入れる準備を整えなければならない。そして流れ的に最終といわれる瞬間がくる。ここでは全く思ったままのことが当然のごとく認識より先に認知してしまう。このことがもっとも滑稽なさまである。考えられるすべての要素から完全にずれているこの出来事は混乱をまねく。この状態からはすべての関連性が一覧でき、また不思議なことや特別なことは全く存在しないことを認識できる。一連の感覚はすでに使用できない状態で流れにのせられていることを受け入れることのみしかできない。初期設定が全く参照にならない状態で上部の記憶を辿ろうとしても混乱するだけである。また下部も同時に存在事体が確かめられずまとめようがなくなる。矛盾しているがこの大きな印象はくっきりと記憶の奥底に埋め込められる。そしてこのときから思考範囲は大幅に変わっている。ポイントという概念ですべてを捉えるのではなく面という概念で捉えることができるようになる。そしてまた次の段階で多次元での思考ができるようになる。この中で自己は大きく膨れ上がる。参照という概念もすでに何の意味も持たなくなっている。自ら動かすことのできる操作範囲は全く用意されていない。次にうまく状態が変化すれば核となる部分があらわれる。この場所では核となる部分の初期化を行うことができる。またここでは自らプロセスを踏まえて考えた設計ができる。この自分が設計した初期情報を一番下部に位置させることで自由に上部の配置の変更が可能となる。またこの対比を全く離れた地点から見ることも可能になり自由に位置できる。しかしこの状態へ運ぶときに受けた傷は残ってしまう。現状では一般的な生活のための対応部分自体がベースになった状態ではないためこのことのすべてに関しても定義をすることができる。このことはよく陥りがちな生活の逃避からの自己想像の中のみで留まること意外にも以前の定義を全て活かした形で容易に入り口部分を引き出せるのが可能なことを表している。従来あった線も操作範囲に入っているため全体の優先順位をも決めることができる。しかしこのような線をもう一度動かすということになるとそのためにはモードの切り替えという必要性が出てくる。またその最高権威を持たなければ動かすことの出来ない場所の制御には様々な方法を考えなければならない。自らの設定の中でもその後はその上に載る形で進むためすぐに変更できる機能を備えているわけではない。その部分を参照することには問題は生じないが再度設定を行うためには危険性が伴う。一度設定を終えた後はその範囲内でどの様に動くかということのみに専念する方がよい。危険性を持たずにうまく参照するためには同質の原理を適応する必要がある。現状態にできるだけ近い空気を作り出し同期がとれだした時点から時間をかけてその実際の参照位置まで移動させる。状態が全く同期していない状態で実際の核となる部分を参照させると大半の場合は拒否反応を起こし自らの許容範囲を狭めてしまう恐れがある。目的が設定の変更のためならば問題はないが、参照のみが目的の場合には個々の修復能力に頼ることが多くなってしまう。このことを全く考えずに行ってしまった場合、設定自体は崩れないとしてもその上部に載っている部品同士が競合を行い全体の統合は難しくなる。また最も基本とされる動作自体の検証がとれなくなり元々の目的である参照という自体に何の意味も持たなくなってしまう。この状態は日常の生活の中でもよく目にすることができる。完全に統合ができなくなれば当然のように適応能力も低下し設定上からはじき出されてしまう可能性もある。最も危険な状態がこの参照部分を認識する部分の物理的崩壊である。このことが引き起こされると肉体という状態さえも失ってしまう。このことは現状の時間軸からの考えからいうと絶望的になる。ある設定を基準に重ねてきた記録部分も同時に失われ参照部分の復旧は不可能となる。まず設定が存在し、その部分からの記録参照の流れを元にしているため繰り返しを避けることができる。この基本概念自体が抹消されてはバランスを取ることもできない。ここではやはり共存と意識の同期ということの重要さがポイントとなる。大きく全体を移動させるとき印象が重要視される。自ら持っている経験を参照に新しいと感じるイメージを作り上げるためその初期の段階で核部分を構築させることが必要となる。この初期の段階である程度信頼性を持たせておくことにより危険からある程度遠ざけることはできる。なぜ自己の中にある一種のオブジェクトとしてあるものにこれ程の動力を使わなければいけないかというとそれはやはり対象からの認識ということが上げられる。全体的な状態をみてバランスを取ることが基本概念の中心に位置するため存在のための存在という認識が必要となってくるのである。完全に造り上げられた考えをあまり重要視されない箇所でおおく見せることによりその部分の全体把握を経て実際の実行へと移すことができる。このこと意外にもうひとつ考えられるのは直接核をたたくということである。直接参照するためにはさまざまな要素が必要となる。この要素を分析するためには全体に対する平均値も必要となる。この値は片方の事柄に片寄り過ぎた場所からは参照できない。このため平均化した視点から見ることが必要となってくる。そのときに中心となる点は一部を使用するということである。このことについては大きな間違いが生じることも配慮しておかなければならない。接続させる部分への細かい調整が主にポイントとなる。この接続先の検索には膨大な時間がかかる。普段の平均化された事実から特にずれ込んだ場所が必ず個人には備わっておりこのポイントへ一度接続さえしてしまえば後はそのこと自体すべてが自然となるのである。そのための細かい修正箇所が一般化されないため個々の印象が大きく変わってしまう。全体の流れをその場所へうまく持ち込むことができればあとはその最も重要視される核の部分へと進むことは非常に容易に行うことができる。先へと進むとき非常に分かりやすい方法がある。ここで考えられる方法はその経験と深く関わってくるため一つ間違うと接続部分ごと切れてしまうことになる。これらの出来事を受け入れる状態になっていなければここから先へすすめることはできない。一つの方法として最大限の許容範囲をも超える情報を流し込みその中からその情報のすべてを掌握しようとする動きを利用して気付かせる方法がある。しかしこの方法は相手の内部能力にすべてを依託するという面で完全にこちらの意志が思うようにいくかどうかは分からない。その中でも予想し得ない頻度の平均値をみるとかなり効果的な手法であることは間違いない。直接参照ができるとき、それまでの中でもっとも大きな部分が中に閉じ込められているときが多い。その部分はすでに溢れる寸前で、ある刺激を与えることにより容易に表へ出ることを誘発できる。その間には様々なポイントが存在しそこへの感じ方への相違点が影響してくる。また生物としての危機感を感じさせた後にもってくるときも同じような衝撃を与えることができる。このときどれだけこの種のものが特殊な速さと規模で移動を行っているかということを認識させるのが一番効果的である。このことは実際に習慣となっている出来事を根本から覆せる。自己認識できるものよりもっと規模の大きなものを感じると萎縮するという状態を利用し、その瞬間を狙い強引に植え替えすることができる。また規模の違いで見ることのできなかった場所の風景も移動が可能となっていることで感覚で捉えることができるようになる。ただしこのとき注意しなければいけないのは自らの規模を大きくしてはいけないということである。そうすると今度はその小さな場所に焦点をあわせることができなくなってしまう。一度にすべてを掌握するのではなくポイントを追加してそのポイント間を流れるように繋がなければならない。そうしなければ幅を広げるということではなく移動することのみになってしまう。移動はポイント間の埋め合わせに使用することができないため連続という認識が必要となる。またなめらかな変化に気付くためにはやはり時間軸に沿ったある位置でポイント化しその地点を参照にその間を補修する必要がある。このポイント化を操作するためには先程述べた設定の位置から行わなければならず、ポイントを出したときその部分に一致が見られなければ意味として成り立たない。この規模の違いを見せるには自分のフィールド外と感じる場所を提示することが効果的である。この提示によりはじめからすべての受け入れ体制を整え吸収することが可能となる。この方法では弱っている部分を中心的に壊してからこちらが用意した素材を使い修復にかかる。こちらの素材を使用することにより意図した通りにある箇所から引き込み少しずつ浸透させていける。この方法は時間がかかる方法として存在する。そのため次にこの時間軸を捉えている場所の調整へと作業を移す。この調整は比較的簡単に行える。基本が完全に共通化しているためその部分はすべて同じ記録で持ち合わせている。実際に動かす部分はその参照元の方である。この操作には特に大きく動く部分はないためより日常的な部分を使うにこしたことはない。またその方が影響力としては強く反応する。意識上で認知する事実をうまく取り除くことができれば無意識に共通した感覚に身をゆだねることができる。このことはどれだけうまく元に敷かれている部分を隠し、また同時に表すかということにかかっている。この出来事自体は一見矛盾が生じているように見えるが微妙なバランスの上ではその狭間に入り込む余地が残っている。この狭間を確定することができれば自然に進行される場所へ入り込み完全な無力な状態を感じることができる。そしてその感覚はすべての物事を統括した完全な無機質なものとなる。この部分への誘導はバランスをうまく調和させ歪みを作ることで理解される。この中には全くの無知と無意識が存在しその大半を占めるものが別にある。それを理解することができれば不安な状態から解放される。この不安は現在までのものとは本質的に異なり原点といわれるときに似た感覚である。到達点へより近いと認識していた状態へと運んでいき一気に突き放す。この先は全く摩擦が生じない状態のように無力な状態のまま進行していく。ここで脳裏を過るのは幸福感である。このときまであった数々の未練がきれいに流され、全く新しい状態まで回帰する。プロセス的な関係により体感などは全く持ち合わせていない。そのまま背景と融合するのを待つのみである。個々としての意識はなくなりまた全体へと戻っていく。一員という中の一つの固体から解放され身を完全にゆだねることができる。この状態で止めることもできる。この出口は普通の状態で考えつく場所での終結地点である。急激な加速が始まり粒という認知はなくなる。このことは記憶に練りこまれ大きな傷となる。少しずつ行う変化による記憶の差し換えは時間軸に沿ってゆっくりと行われるためその間に行われる葛藤による傷が大きくなる恐れがある。もう一つ考えられる方法は肉体側からのアプローチである。こちらは現在統括しているもののバランスを崩し、核となる部分への通路を短距離にするという方法で肉体疲労による認識の欠如や物理的影響によるものである。ある特定の感覚として認識する部分を徹底的に刺激する。そしてその作業の途中で中心部分が移動したときを狙って入り込む。この動作は大変強引なためすぐに中心部分がバランスを取ろうとする。しかし徹底的な刺激により肉体的に反応することができず思考回路をうまく操作できない。このときに最も自由度が高まる。しかし細胞個々の抵抗は衰えていないため容易だとは言えない。この方法を使用するときはその行動の前に司令塔となる場所への許可が必要となる。制御できる部分の少なさも考慮に入れておく必要がある。実際には感覚部分以外には何も伝わらなくなっており実際に自ら動いていると感じ取る部分もはじめからある命令に従っているだけである。また実に短期間の内に意識というものがつき抹消されるという事実は実際には必要性を見出せない。しかしまたこう考える出来事自体も命令の中に含まれている。現状の事実のみを参照に行うことにはそれ以上のことは望めない。また最低のレベルの中で繰り返しが行われてしまう。これを回避するためには逃避をする以外あり得ない。用意されている中で繰り返される作業を満足感として得る可能性もあるが実際にはある特定回数以上の繰り返しの後、一定期間を空けて一度か二度のみ作業することにより実際の作業から得ることのできる満足感は倍以上に感じられる。これは習慣として繰り返すことによりある一定のレベルに達した安心感を感じることができるようになっているからである。しかしこの安心が永遠にあると感じるときには恐怖を感じる。またその逆に現状を維持しようと働きかけることにもそれを感じ取るときがある。この事実は多くのことを証明できる。周期という事実が上部での基本概念となっている。最小単位の位置まで戻るとその先は自然と下部へと移るが上部においてはすべてをこの最小単位で扱うことができる。しかしランダムという概念には役立たない。これはまたその対になる部分で周期化をはかることができるがその部分は下部に位置する。実際の事実として認識される部分とかけ離れた視点から進行状況を確認できることを考えるときどのように差別化をはかればよいかという疑問が発生する。この問題については完全にフィールドを分けてしまい権限をそれぞれにより変えてしまうことしか考えられない。成るべくして成った出来事には様々な矛盾が生じておりそのことについてはすべてを受け入れることしか用意されていない。そのことを考える事体が矛盾しているのである。絶対的なものを不確かなまま考えることができるのは完全に理解されていない状態を表す。理解が深くできるということを思うと単純な値ではなく複雑な表現法しかできないと感じさせられる。まず何か特定の事実が存在してから時間軸に沿って反応を行うという流れの上ではきっかけがなければ時間軸自体が動作していないことを表す。この原動力となっている場所はどこに位置するかというと上部と下部の概念の外側にある。感じ取ることができない箇所を動かして認識する必要が出てくる。実際には直接的にはできない。このことは実際には間接的にあるポイントに振動を伝わらせなければならない。全体を動かしている部分を通して伝えることによりフィルタがかかりその部分への感覚は全く閉ざされる。錯覚を引き起こすもう一つの点をつくことで実際のポイントへ振動を伝える。このことには偶然性が関係するのため特に意図したポイントへと焦点を合わせることは難しい。しかしその分大きな塊ごとに同時に発することができるため有効的な手段となる。このときには特別に流れに神経を集中させる必要はない。しかし物理的損傷により同じ現象を引き起こす場合においては神経を集中させておかなければならない。その衝撃により目的の場所へうまく伝えることができなくなり傷口が塞がる前にその目的自体を錯覚し認識してしまうときがある。実際にこの現象が起こると積み上げてきたものが全て崩されてしまう。目的は上部に設けられた制限の中でどのように下部へ伝えるかということであるがこのときにはその目的自体を支えている部分ごと崩される。またその切り口からどれだけ広くの空間を想像できるかという力も失ってしまう。この出来事から後にはこの意志が肉体部分にマークされてしまい、この部分へのアクセスは拒絶反応により閉ざされてしまう。分裂の境目が開き過ぎるとその全体を制御している部分が隙間を埋めるために重要な部分を含め切り捨てにかかる。監査部分の目的は上部での空想ではなく実際の成りゆき通りに物事をすすめることである。そのため必要がないと思われるものは認識できない状態に変えることができる。また害があると審査されたものについてははじめの取り決めのとおり苦痛を強いられることになっている。監査部分もまた一つのオブジェクトとして認識され、この矛盾する繰り返しの中に存在する。監査部分が一番はじめになければ統括できないためではあるが、このことについては細胞個々が命令を与えられていることで忠実に仕事を行い流れが潤滑になっている。このことは時間軸が発生する以前からすべての設定がなされていたことを表す。この中での響きが大きく捉えられたときにすべての歪みが整頓される。この壁は大きく傾きまたその中にある特別な感情が見られるようになる。その部分は大きく膨張していき逆に身体は縮小していく。この逆作用により全体の見通しが変わってくる。この時点から見える部分が急激に変化する。そして壁の外側に位置する存在を感じ取ることができるようになる。外には同じ類いの壁が列をなして順番を待つ。次の順番までの間この中で不安感を抱くより仕方がない。以前の動作が記録されている部分を拾い集めその素材を元にもう一つのことを作り上げるほかなくなる。順番が少なくなるに従い不安感が湧いてくる。そして次の順番が回ってきたときに大きな衝撃が与えられる。少しずつ膨れ上がっていた壁が全く逆に認識されていたことに気付くからである。それを認めた後は少しずつ振動を感じはじめる。そしてその後この事実が自ら設定した作業の一環だったことに気付く。また作業自体は完全に分担されており統括を行う部分がランダムに配置されている事実に不安を抱く。神経を司る部分はすでに完成しているため他の場所へ連結する作業のみが待っている。このときには設定上用意されている膨大な数の情報が植え込まれている。また記録を行う部分は接続されていないため上部ではまったく意味のない情報として保存されている。比較できる要素が自己中心的に作られることにより自己の存在自体がより強調されあきらかにされる。そして少しずつすべての感覚を認識する部分が製作されていく。このことを記録している部分は後ほど使用する部分とは全く別の場所にあり、その存在に気付くと安心感が与えられる。それぞれの回路へのアクセスが閉ざされていき総合的な統括に必要な内容は数えることができなくなる。そのまま他の原動力でおぎなえる場所での安心感が続く。しかしこの時点で次の場所のことを考えはじめなければならなくなる。このことは特に不安を過らせるということではなく根本の状態が変化してくるに従い気付いてくることを表す。ここからの移動が始まる。必死にこの移動をとめようとしても常に後ろからくる圧迫感により無駄に終わる。この時点でも記録はまだ始まっていない。ここからは最終の地点となる入り口を探す作業へと移る。最大の疑問を解決することに神経を働かせ最後に控えている部分に対して記録をする部分へと繋げる動作を行うことのみを考えだす。意図しないままにすべてを見せつけられ解決を強制されていることも考えられる。どちらにせよこのことはただのきっかけにすぎず、この後に重要点がおかれている。また一番最初に埋め込まれる目的を設定するため、そこにあるもの自体が事実となる。このことがある周期の一部であると認識した上で命令に忠実に従わなければならない。また全体のバランスを取るための一部として利用するわけにはいかない。その逆のポイントが全くなくなるためである。これは根本の原理に反することになる。また実際にはそのようなことはできず時間軸の進み方が一定だとしても常に一定というわけではない。それは時間軸の進行具合を決める部分が感覚的であり、このことにより自由に操作できるからである。この部分への割合を下げていけばどのように進んでいるかなどは曖昧になる。また自由度が高すぎるため他のものとの差別度をはかることが難しくなる。この絶対的なものを感覚によって感じ取る動作は実に完璧な組み合わせでまた不確かなものとしての設定が適応されている。また感覚は倍数という方式により実に幅広く捉えることができる。しかしこの場合の幅広さにおいては生物としての境界線を基準に考えたものであり、それ以上の比較を含まないときに使用される。その部分ではどのように変更をしたかは認識できない。記録されている情報のみではすべてを把握できないからである。しかし逆にこの記憶の部分を除いた箇所にしっかりと刻み込まれている。最も簡素的と思えるこの部分にはすべてが盛り込まれている。これを解析することには何の意味もない。この意識が最終的なすべてを表しているからである。もし時間軸が記録されていてもそれを引き起こすために時間軸を使用する。この繰り返しにより進んでいく中で止まったような錯覚に陥ることがある。このことは毎回繰り返されていた周期の中にある自ら作り上げた現象に戸惑っているだけである。そこまで追い詰める必要はない。肉体を酷使すると強制的に働く部分がある。構築には様々な要素が絡む。まず直接的に訴えかけることのできる部分では特に雰囲気を変えるためのみこのように捉えられる。このポイントは大変分かりにくく実際に役に立つ部分はこちらには並ばない。目的を理解した後はその方法論を考えることを始める。まず統計という方面からアプローチをする方法がある。全体の統計としてではなくごく少ない中での平均率を使用するため確率が高まる。この方法ではまず全体のゆらぎを調べて数値化することから始まる。この中で見えてくる数値を当てはめていくため特別な計らいは必要しない。それぞれのための調整なども全く必要無い。もう一つ上の浅いレベルで考えたときさらに様々な要素が絡む。このすべてを列挙するのは難しくおおまかに捉えることしかできない。ただ一つ確定していることは最低規則が一つあるということである。これは現状を維持することにありすべての元となる部分を保持するためにさまざまな機能が備わっている。特に意識を支えている部分は考慮されておりこの機能を有効的に利用することでまた別の一面を覗くことができる。また多くの場合においては無意識の内に動いている場合があり自己制御できない部分も多いことを表す。基本的概念が崩れるときヒューズとなる部分が麻痺してしまい基本的に植え込まれたとおりに動かないときがある。そうなれば概念や基本的な部分が設定されている状態でのみ存在する部分が出来上がる。この状態ではすでに何の意味ももたず過度な肉体的危機感から崩されていく。それぞれの機能は実際に自らの機能や役割を認識していないためそれはどのレベルでもおなじでありその部分の動きは全体的にはうまくバランスがとれている。しかしレベルを細かくしていくに従いそこには細かいバランスのとれたものよりもっと大まかな偏りが見えてくる。対称的に考えるときには完全なものを写し出すのではなく、ある程度の歪みを持たせている。全体が何の考えもなくなるべくして出来上がったものであるからには先のこととして考え付かないものは過去として記録される事のみが事実として存在する。また想像の中で過去と同じように抜粋されたことを望み抗体が逆効果を生み出している現象となる。この抗体により全く起こり得ない出来事も頭の中で現実化される。そして何ごとにも恐怖感に対する対比により一層癒そうと働きかける。この繰り返しは最もひどい状態で逆方面からの参照は行えなくなる。このときに必要となるのは黒く認識される部分へと方向性を向けることである。対になっているこの場所ではある歪みのきっかけによりうまく逆方向へと裏返すことができる。むしろこの状態ではすでにこの方法のみしか残されていない。意識の中に練り込まれている物はすでにその中身のみではどうすることもできず、その一部であるべき部分が完全に違う場所にあるため関連性を持たせることができない。また少し手が届いた所で何の解決法にもならない。このすべてが一定の間隔で部品と呼ぶことができる。このことは意識の違いを意味する。特に深い階層に行けば行く程表面部分が奥深くに沈んでしまい救出ができない場所へと移動してしまう。自然に備わっている部分がうまくバランスをとれないとき自動的に修復されることがある。実際の動作としては認識できないが動いている部分は存在している。また完全に出来上がった物の中で動いているためその速さ自体が制御されている。この中で何を行おうと基本的にはすべて決まりきった中での移動をしているだけである。この原則に逆らうことはできない。ただ一つだけ方法があるとすればすべてを消去するのみである。この移動の中にあるプロセスを変えることでそれぞれの人格を作り出している原則を動かせる。制御できない部分が全体を使用している状況では個々に変化をつけることはできず団体として動かすことのみ可能である。団体を動かす時強制的に癒しを求める状態へと持ち込まなければすぐに膜を張り替えされ上の部分を覆っている部分から先へは進めない。膜の部分を塗りたくるのではなく全体にしみ込ませる必要性がある。このコーティングされた膜をうまく剥がすことができれば浸透は比較的簡単に行える。この膜には薄さは全く関係なく重要なのは膜を剥がすためのきっかけとなる地点を探すことである。これにはプロセスを踏んだ方法が必要となる。一つのアクションのみで動くことは少なく基本的には認識ができていても確認がとれないものを中心的に使えばよい。このことは全体におけるときでも同じで原則として用意された部品を使用することのみで実現できる。またこの中の核となる部分には浸透は行われなく、同じ次元に表れているのは姿形のみである。本質は信号のみの存在でその部分へアプローチする場合は全く違った方法を取る必要がある。また外側から進めるのではなくはじめから核の部分へ直接アクセスすることも考えられる。核の部分の制御ができれば他の部分の浸透も行ったと同じことである。しかしこの核の部分はその周りにある個々が集まった団体に保護されている状態のため周りから浸透させなければ難しい時もある。この団体を制御するという意志はどのレベルに対しても行うことが可能なため実質団体と呼べるものすべてが範囲内に入っている。またこのときには様々な部分という概念では考えられない。まずこの中で自分の意志自体がどこから行われているかということを理解するのは大変難しい。どの部分がもっともはじめかを限定するのは難しく数値の増加減少という概念だけでは括りきれない。またその原則の中では理解は不可能である。決められた次元により認識している頭の中でのイメージを大幅に変えることは出来ず、きっかけとして偶然を誘発することが最も容易である。大きく捉えると小さなものは塊となるがこの小さな方向は理解できるようになっている。この中では最低限の限度をつけることは可能になるがその逆方向は無制限になる。このことは一見ある特定の法則に相反しているように見えるがもっと大きな視点から見ると何の問題にもならない。他の点でもよく見られることで一つの方向や視点からの考えではもう一点は見ることができない。逆に見える所を追求することによりこの説明は何の意味もないことになる。ある制限があることにより前に進むことができ、実際には理解ということは理想に背き妥協のみが残る。大きさに見合った出来事に対して動いているのみである。ここでもある程度の見切りをつけなければ全くすべてが意味をなくしてしまう。はじめから意味をなさないものには何も求めることはできない。回転することにより繰り返しという動作のみではなく様々な要素を追加することで影響を与えることができる。また実際には時間軸に沿った運動を行ったという痕跡は必ず残る。次第にこの部分は膨れ上がり最も重要な入り口であったことを思い出す。その入り口に見える場所は実際にはどのような動作も受け付けない。認めることのみが実際の事実となりこれは実際のことと想像がちょうど交わる場所を提示する。プロセスの違いが全く意味を変えてしまう。その根本の部分をたたくか場所へと直接飛び込むことにより意味のない場所へと並行的に移動できる。この位置は最適に保たれ特に目的のない状態でも一通りの同じことを経験できる。またその大きな場所を小さく見るのではなく永遠に変わらない持続したものとして認識することもできる。そして大きく安心感を抱かせまた古いと感じることもできる。特に色のついている部分を認識できるということは後のことを考えても大変有益に感じる。これを踏まえてその円の上に立つことができれば全く対極となる点についても同じ座標で表せる。何から解放されるということも忘れただ時間軸と自己があるのみである。すべてに白と黒の間のみが存在する。この3つの点だけが認識できたときはっきりと何を意味するかを感じ取ることができる。何も意味がないという意味を見つけた時には繰り返さないように気を使いそのポイントを探す必要がある。小さくなり過ぎた場所のあまり深くない場所についてはただ横に広くのびていたと想像できる。また一つ大きく想像をすることにより簡単に同じものを作ることができる。どこかで経験したと思い込み時間軸の概念を忘れたとき粉々になっている場所を見つけられる。制限範囲については単なるオブジェクトと考えることができ、統一されている部分もまた一つのオブジェクトである。そのため実質中心となる部分は固定されず常に変動している。その移動先での処理を移動という作業により包括する。移動時に何かをどこかに移動することにより認識する情景が変わる。この事を処理と感じ基本的には文字の上で動く。言語を認識できない時マーキングは修得した後では考え付かない。代わりに分割されて入力される情報をいかに一つの部分にて処理させるかに焦点は移される。特に他の場所に並べ変えることで大きく分類するとふた通りの方法で膨大な処理をすることになる。ここでは構築されたものとの違いは全く感じられない。特定のオブジェクトはその範囲内でしか想像ができず、すべてが理解する素材により構築されていることになる。想像外のことが起こるというのは実際はプロセスの違いが生み出す錯覚にすぎない。間に挟まるべきものを抜き取った状態の考えにより構築を行うとあたかも新しく次元が開けたような錯覚に陥る。すべてを元に考える事により大幅に変化を行うことにも柔軟に対処できる。球体を描いた場合その周りの色は経験に基づき構築される。またプロセスが全く同じだったとしても根本の部品となる部分が違うため結果的にはまったく違うものが吐き出される。配列として無限の組み合わせにより作られている箱は時間軸を中心に考えることができる。特定の組み合わせの中で認識できる低い数値のみを使用することで対称となるものも定義することができる。大きく揺れることができる部分は自由度が高くより柔軟に揺れる箇所はもう一つの基本となる。対照的なものの間を自由に揺れることができるときはじめから支点となる部分がしっかりと固定されている。その中で展開される場面の一つ一つは特に意識を向けなくとも認めることができるが大きく捉えるときには難しく感じる。遠くに感じられることが波の動作により運ばれるとき実際の地点を表すためには自己の内部での処理に頼るしかない。多くの出来事が起こる度に深く入り込み引き上げる事は難しくなってくる。すべてが同じ方向を向くというのは考えられない。また付近に近付くこともできず大きくうねっている状態を認識するのみである。その本質の部分に触れようと思った所ですでに大きく片寄ってしまっている。片寄る前には当然の様に存在さえも気付かない。また存在自体の意味さえもない。すべてのポイントにおいて摩擦が生じ深いみぞの中からはその隙間を見る事さえもできない。多くの粒が集まり大きな形を作り出す。どこまで小さな部品まで覗くかという点では特に多くを気にする必要はなくはじめから設定されている。頭が慣れてしまっている状態では必要なものの区別さえもできなくなっているがこのことは当然流れるべき状態で特別なことでもない。豊かなものの中には大変奥の深い溝があるが特に意識をしない状態では基本事項として認識される。その中に多くのポイントを追求する自体想像から外れたことである。また本質の部分を見つけることが得に重要な点であり大まかには気にとめない部分が多い。一つ一つの部品がそれぞれ個々の意志をもち動いたとしても認識できていることを確認できる場所は一つである。また多くの増え過ぎた細胞をより多く集めるためには片寄り過ぎたために並べなくなった頂点を見つめるしかない。また守るべきものを認識できているとすれば深く揺らぐときもある。傾きが大きければ大きい程全く意味をもたない箇所がより強調され谷のように見える。このことはまたある特定の角度から見る事でよりずれ込む。特に大きくなり過ぎたポイントを中心に波を描くことで見えるようになる線は特に大きなくぼみになる可能性がある。程良い状態でストッパーがきかなかったときそのこと自体に気付くこともできず遠くに見えるポイントさえも霞んで見える状態が続く。また暗闇に入ると肉体部分がすべての部品を守るため大きく揺れる。そしてあらゆることを想定しその対応に耐えれる程の予感を働かせ待ち受ける。少しでも不安定な状況から逃げようとして安心感を求める。はっきりと内部で行われている出来事に気付くとさらに不安定な状態に陥る。この流れを理解しておくことで対策の取り方と操作できない箇所への認証方法が割りだせる。実際に限度と思える位置までこの値が上がったときに少しの期待を与える。少しづつ近付いていきそこで待ち受けたように消える。このことについての心情的な変化の反動をうまく使うことで値をより増加させることができる。期待をした分深く傷つくことはないがそのこと自体は深くこびり着いている。手探りの状態でそのまま進むとそこには再度の裏切りがある。それは存知している箇所でありこの3段階で蓄積されていたものが一度奥の方へと引き戻る。次の瞬間には勢い良く上がってくる。限界ポイントを少し超えた所で一気に明かりをもってくる。考えられるより上の物を与えてやる。この効果は非常に高く内部に何もはいっていないとしても違いに気付くことはない。この事ですべてを白く塗り替え無数の小さな穴を残していく。小さな球体はすべてを収めきれるようにみえ全体を同時に写すことができる。またすべてを同時に表現できる。しかしある条件が必要で実際にはこの出来事を外側から見ることができるという前提時でのみ成立する。外側に意識できる状態の物体が存在してこそ感じ取ることができる。その中には限定された空間があるように見えるが意味は全くない。実際に重要な部分はその間の部分である。地点としては認識できないこの部分を動かすためには不安定な状態では大きなリスクを負うことになる。まず現在の状態にできるだけ波長をあわせることから始まる。ここではできるだけ静かな状態から同期させていく。その為必要となる素材は一般生活を凝縮した想像である。その同期がとれた時点でその小さな波をその周期ごと大きな周期の波へとのせる。急激な変化は必要無く、滑らかに大きく変化させていく。そして少しずつ様々な周期を与えていき長さを調節していく。この時点ですでに意識の部分は完全に安心し柔らかくなっている。その部分に大きく揺さぶりをかけ少し力を加える。安心と不安のギリギリの部分を刺激しその箇所への力の入れ方を強くしていく。完全に逃げ道を塞いだ後に大きな不安を与えさらに大きく膨らませていく。そして割れる寸前に一気に解放する。現在まであったまわりの殻はすでになくなり次に行うことすべてに対して正確に反応するようになっている。次に行うことは記憶部分の下に位置するフォーマットの製作である。全体的なコーティングをおこないすべてに薄い皮を張り合わせる。深く穴を空けておくことで下の部分へアクセスできるようにしておく。出来事すべてが新鮮なため深く揺さぶられる。蓄積部分をもう一度植え直すため実際にこの部分は表と認識させる必要が出てくる。この時点で他の概念が錯乱し助けを求める。実際に行っていることは取り引きと考えられるようなことではなく強引な練り込みのみである。目的は気付かせるためであり特別な感じ方ではなく移動をするかしないかの問題のみが残る。すべての過程を表すためには2つの方向性への解放が必要となる。片方に片寄り過ぎていてはどちらも見ることができない。一通り左右への行き来ができるようになった時点でしか中心部へは近付けない。自動的にシフトされてしまう。この状態から少しずつ中心部へ進んでいくこのときに丁度交わる部分がそれである。この箇所へ到達できればそのまま隙間へ入り込みそして全体を裏返す。これがすべてとなる。そして感じることのできる最小の単位まですべてをたたき壊すことで最小の素材を作る。この素材をもとに作りなおせばよい。以上で現在表現できる範囲での抽象化はほぼ全て記述された。その単語に対してもっている先入観と記憶参照によりこちらの意志を全て伝えることは大変難しいがこれらの文章はある1つの場所を表している。この文章により私がいつも表現しようとしているその特定のことに気付いてもらえばと思う。

Kozo Inada Feb 2003